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 1997年から2001年まで監督を務め、最優秀監督にも輝いた。

 【49】 ラリー・ダーカー [ Larry Dierker ][ Full Name = Larry Dierker ]
 [ 先発投手 右投げ/右打ち ][ メジャーデビュー64/09/22 ][ 誕生日46/09/22 ][ 出身:カリフォルニア州ハリウッド]
  Team ERA W L SV G GS CG SHO IP H R ER HR BB SO
1964 HOU 2.00 0 1 0 3 1 0 0 9.0 7 4 2 1 3 5
1965 HOU 3.50 7 8 0 26 19 1 0 146.2 135 69 57 16 37 109
1966 HOU 3.18 10 8 0 29 28 8 2 187.0 173 73 66 17 45 108
1967 HOU 3.36 6 5 0 15 15 4 0 99.0 95 44 37 4 25 68
1968 HOU 3.31 12 15 0 32 32 10 1 233.2 206 95 86 14 89 161
1969 HOU 2.33 20 13 0 39 37 20 4 305.1 240 97 79 18 72 232
1970 HOU 3.87 16 12 1 37 36 17 2 269.2 263 124 116 31 82 191
1971 HOU 2.72 12 6 0 24 23 6 2 159.0 150 50 48 8 33 91
1972 HOU 3.40 15 8 0 31 31 12 5 214.2 209 87 81 14 51 115
1973 HOU 4.33 1 1 0 14 3 0 0 27.0 27 14 13 3 13 18
1974 HOU 2.90 11 10 0 33 33 7 3 223.2 189 76 72 18 82 150
1975 HOU 4.00 14 16 0 34 34 14 2 232.0 225 109 103 24 91 127
1976 HOU 3.69 13 14 0 28 28 7 4 187.2 171 85 77 9 72 112
1977 STL 4.58 2 6 0 11 9 0 0 39.1 40 21 20 7 16 6
TOTAL - 3.31 139 123 1 356 329 106 25 2333.2 2130 948 857 184 711 1493
【】
ダーカーは18歳の時、1964年9月22日に当時のコルト’45sでメジャーデビューを果たす。

現役時代は64年から76年までアストロズに在籍し、中心投手として大活躍し、69年には球団史上初の20勝を挙げる力投を見せた。
1976年7月9日の対エキスポス戦ではノーヒッターを達成した。

引退後の’79年から’96年までは球団のテレビ及びラジオの解説者を務め、96年のオフにコリンズ前監督が更迭された後、オーナーは彼の的確な解説を聞いて気に入り全く監督・コーチの経験がないまま監督に抜擢され、見事新人監督として史上6人目の地区優勝に導いた。

1998年には、2年連続地区優勝および球団史上歴代最多の102勝という成績を挙げ、全米野球記者協会選定のナショナル・リーグ最優秀監督に輝いた。

しかし、順調だったダーカー監督に不幸が舞い降りる。
1999年6月13日のサンディエゴ・パドレス戦で、ラリー・ダーカー監督が試合中に脳血栓で意識を失って倒れるという異常事態が発生。選手たちが衝撃に満ちたこの事態に、審判団は試合続行不可能と判断し『
サスペンデッドゲーム』となった。※次の日にゲームの続きを行うアメリカンリーグのルール。通常は夜1時を回って決着の付いていない場合に行う。

幸い脳の血管につまった血のかたまりを除去する手術が無事成功し、ダーカー監督はおよそ1ヶ月後に復帰。その間チームは動揺もあって、13勝14敗と負け越してしまった。復帰したダーカー監督は、「今年は常に不利な立場に立たされ、ラインアップはまさにつぎはぎ状態だったけれど、それでもウチはこうして戦っている。私はこのチームに十分な自信を持っている」と不思議と自信にあふれていた。
すると、この年も地区優勝、3年連続だ!時にはビジオを外野に回すなど不思議な『ダーカーマジック』を行いファンを驚かせたダーカー監督。

2000年は地区4位と落ち込んだが、2001年には再度地区優勝に導く。

2001年10月18日。ついに、ラリー・ダーカー監督は辞任を表明した。5年間の監督生活で、4度のプレーオフを果たすも結果が残せなかった責任を取っての辞任だった。監督としての実績は、448勝362敗という成績で、プレーオフは2勝10敗という残念な結果に終わっている。

アストロズは、この功績と過去の活躍をふまえ背番号『49』をアストロズ永久欠番とすることを決定した。



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